始めまして。タックンです。
どこで出会ったのか、当ブログにお越し頂き、誠にありがとうございますm(__)m
 
このブログを書いているタックンと申します。
現在の住まいは神奈川。趣味は釣りの、現在26歳です。
 
このブログでは、僕が紆余曲折の末にどうにかアフィリエイトで稼げるようになったノウハウやマインド、考え方をご紹介しています。
 
僕は今現在、アフィリエイトという、インターネットを使ったビジネスを行い、生活をしています。
 
なぜ僕がアフィリエイトを始めたのかというと、
なんてことはありません。
 
別にお金が欲しかったとか、(まぁ生活できる分は欲しかったですが。)
お金儲けをして世直ししてやろう!とか、
そういう感じではありません。
 
今思えば、僕はただ単に独立心が人一倍強かったのだと思います。
 
独立心とは、要は、
「誰かに、ずうっとおんぶに抱っこでいられない!」
という感覚です。
 
なんだろうなぁ。
よくわからないけど、自分への劣等感が強かったのかもしれません。
 
まぁ、他の人が見れば、
「こんなブログ書くくらいだから、そんなことは無いのでは?」
と思うかもしれませんが、
 
それでも僕は、いつも心のどこかに劣等感を抱えています。
 
なぜだかはわかりません。
 
もしかすると、自分の目標が高いのかもしれないし、
自分よりも、見た目がよくて、要領が良い誰かに、
引け目を感じているのかもしれませんね。
 
これについては、僕もまだよくわからないです。
この部分については、僕もこれから、
自分と向き合って解き明かしていきたいところだなと思っています。
 
 
アフィリエイトというビジネスを知ったのは、
たぶん大学生くらいの頃だと思います。
ホームページを作って稼ぐということ自体は、中学校自体から、
バンド活動を通じて、htmlをある程度理解することはできていたので、
「なるほど、ホームページを作ってそこに広告を張ることでお金稼ぎができるのか。」
と、すぐに内容を理解することができました。
 
 
が、ビジネスモデルを知ったとしても、
結局は素人。
最初のうちはどうすれば稼ぐことができるのか、
全く予想がつきませんでした。
 
当時僕は大学生で、
時間だけはあったので、
「アフィリエイトで稼ぐ方法」
みたいなサイトを、ずっと見て回っていたような気がします。
でも、結局のところ、どんなからくりがあるのか、
よく理解できないでいました。
 
丁度当時、割とセンセーショナルで、かつ流行っていたのが、
「mixi入学アフィリエイトで月収51万円」
という教材です。
 
「うわあすごいなぁ。mixiって稼げるんだ。
たしかに人は多いし、やってできないことは無いかもしれないなぁ。。
でも、どうやって稼ぐんだろう?」

 
と思ったことを覚えています。
 
ただ、商材の中身は気になりましたが、
当時の僕はまだ商材代を捻出できるようなお金を持っておらず、
レターページを眺めてはなんとなく「羨ましい気持ち」になっていました。
 
僕も稼ぎたいなぁ。
 
と、そんな心境です。
そのあたりから、アフィリエイトに興味を持ち始めた僕は、
商材代などは変えませんでしたが、アフィリエイトに関する「書籍」を読み始めるようになります。
 
なんとかお金をかけずに、ノウハウを習得しようと考えたわけですね。
 
その時、本屋でなんとなく購入したのが、
「アフィリエイトの達人養成講座」という本と、
「アフィリエイトでめざせ!月収100万円」という本です。
 
今では全く開かなくなってしまいましたが、
当時大学生の僕でも、なんとなく、アフィリエイトビジネスの全体像を理解することができました。
 
まぁでも、当時はアフィリエイトはアフィリエイト、
という感じで、アフィリエイトについては、
まぁビジネスのひとつ、くらいに考えていたような気がします。
 
 

大学時代はバンド活動一色!

 
アフィリエイトというビジネスに興味を持ちながら、
大学時代に僕が命をかけて行ったもの、それがバンド活動です。
 
 
当時、僕は本気でプロのミュージシャンになりたいと思っていました。
プロのミュージシャンになって、テレビに出て、売れて、
その稼いだお金で親に恩返しをしたいと思っていました。
ただでさえ、高い学費を払ってもらって、
大学に入れていただいている身分です。
 
バンド活動を本気でやって、売れれば、
印税も入るし、億万長者になれると思っていました。
 
バンド活動自体は本気でやっていたので、
そこそこお客さんを集めることができました。
当時ヴォーカルだった人が、芸能関係との繋がりがある方で、
そこそこ華やかな飲み会にも参加させてもらっていましたし、
大好きなバンドメンバーにも囲まれて、
なんというか「鼻高々」な毎日を送らせて頂いていました。
 
大きいところでは渋谷のクラブAsiaというところでライブをさせて頂いたり、
バンド活動意外では、セミプロのミュージシャンが集まる現場にアシスタントとして参加させて頂いたり、
有名な人の現場に出入りしたりさせて頂きました。
 
正直あの頃は、
「僕は大学生なのに、こんな社会人みたいな生活をしてる!
今にもっともっとがんばって、有名になってやるんだ!」

と軽く有頂天だったようにも思います。
と同時に、のんびりと大学生活を送っている、
いわゆる普通の大学生と自分は違うんだ!と、思っていた記憶があります。
もっというと、他人よりも自分の方が優れていると、
こんなに人脈にも恵まれていると、妙にタカをくくっていた気がします。
 
大学時代はJazz研究部という部活に所属していましたが、
先輩の言うことにまったく耳を貸さず、
Jazzなんてそっちのけでロックをぶちかます。
そんな状態でした。
(今思えば、自分からJazz研究部に入っておいて、かなり嫌な奴ですよね。)
 
一見順風満帆に見えて、先輩にも平気で悪態をつくなど、
大学ではなかなか良い感じにロックな人生を歩んでいた僕でしたが、
 
ひとつだけ、大きな問題がありました。
それは「音楽活動だけだと、お金が稼げない」ということです。
そしてもう1つ「有名な人にぶら下がるだけでは、自分は有名にはなれない」ということです。
 
いや、今思えば音楽活動をしながらお金を稼ぐことも可能だったと思いますし、
有名な人にぶら下がりながら、上手いこと世渡りして次第に自分も有名になっていく・・・
みたいなやり方もあったように思います。
 
だけど、当時、誇り高きミュージシャンであり、
同時に、なかなか自分に自信が持てない僕は、
プロになりたいと思う反面、音楽で稼ぐなんてずうずうしいことであり、
有名な人にぶら下がって「おこぼれ」を貰うなんて、カッコ悪いことだと思っていました。
 
だから、人脈に恵まれていても、メンバーに恵まれていても、
バンド活動をがんばっても、なかなかそれだけではお金を稼ぐことはできませんでした。
そういうしているうちにバンド活動は、軽く暗礁に乗り上げてしまいます。
 
 

このままバンド活動をしていてはいけない!

 
今思えば、やりようはいくらでもあったと思いますが、
当時の僕は大学1年生か2年生、19歳、20歳ということで焦っていました。
 
僕が知っているバンドは、大体20台前半くらいでメジャーデビューを果たし、
20台後半くらいには既にある程度売れて、生活の基盤を作っているケースが多かったからです。
 
僕はもう20歳。
せめてあと3年以内に、メジャーレーベルの目に留まるような音楽活動をしなくてはならない!
と思っていたのです。
 
時間が無い!と思った僕は、
当時お世話になっていた事務所の助言に従い、
これぞ!と思うヴォーカリストを探す毎日をおくるようになります。
 
「最高のヴォーカリストを見つけて、
素晴らしい音楽を作れば、売れる!」

 
と信じていたのです。
 
 
このままでは僕はプロになることができないかもしれない!
そんな不安に駆られた僕は、
バンドメンバーに唐突とも言える別れを告げ、
僕の人生をかけたヴォーカリスト探しを始めてしまいました。
 
この時は、あらゆるメンバー募集サイトに登録し、
mixiではあらゆるメンバー募集掲示板に書き込みをし、
ひたすら募集活動を繰り返しました。
 
これから出会えるであろうヴォーカリストに、
未来の全てを託していたのです。
 
 
当時大学3年生。
もうこの時を逃したら音楽で売れることはできないかもしれない。
21歳。年齢的に焦っていました。
 
 
漫画やテレビの世界では、
ここで大抵、運命を変えるような劇的な出会いが訪れます。
 
 
僕もそれを信じて疑いませんでした。
毎日数人のヴォーカリストと面談をして、
カラオケで歌を聞かせてもらう。
 
何日もそれを繰り返しました。
累計で100人くらいのヴォーカリスト希望の方と会いました。
 
 
ある日、僕なりにピンときたヴォーカリストが居ました。
この人ならいけるかもしれない!
僕はそう思って当時お世話になっていた事務所の人とセッティングを図ります。
 
 
結果、
 
 
 
「俺は、違うと思う。」
 
 
 
これが事務所の人の答えでした。
 
当時、僕らの中には「事務所の人が言うことは絶対」という不思議な掟がありましたから、
事務所の人がNoならばもう僕には何もできない・・・。
 
当時大学3年生の僕は、無力でした。
 
 
今思えば、そんな、人ががんばって行ったことに対してNoを突きつける人間と、
なぜ無理してまで付き合う必要があるだろうか?
と思わずには居られない場面ですが、
 
当時無力だった僕は、反論する力すらなく
その言葉にただただ、うなだれるしかありませんでした。
 
 

卒業の時

 
そうこうしているうちに時はたち、僕は大学4年生になりました。
僕は大学4年生になる頃には、もうプロのミュージシャンになっていて、
メジャーレーベルと契約し、卒業する頃には、
ある程度生活の基盤もある予定でおりましたから、
「そうは問屋が卸さない」
という言葉の通り、また自分への無力感に打ちひしがれていました。
 
音楽活動に全てを捧げすぎて、
単位もロクにとっておらず、下級生に混じりながら講義を受け、
なんとかギリギリで単位の取得をする、そんな毎日を送っていました。
 
表向き「華やか」な大学1年生をおくり、
部活の先輩や大学の友達には悪態をついて、
芸能界や音楽業界とも繋がりがあった僕が、
3年後には、卒業後の目処も立たず、
下級生に混じりながら卒業のために必死に講義を受けているんですから、
人生とは皮肉なものだなと思います。
 
 
バンドを成功させられず、メンバーには顔向けができず、
大学の友達やJazz研究部の先輩からは
「あれ~あいつプロのミュージシャンになるんじゃなかったの~?www」
後ろ指を指されているような気がする中で、
僕が人生の最後の希望だと思って取り組んだもの、
それが、「アフィリエイト」でした。
 
 
 

当時の月収は、1万円

 
みんなから後ろ指を指されているような気がする中で、
僕が当時こっそりと取り組んでいたもの。
それが「アフィリエイト」です。
 
これまでのさまざまな過程に疲れ、
人間関係を整理し、改めて1人になって行ったもの。
それが「アフィリエイト」です。
 
でも、アフィリエイトを始めたからといってすぐに稼げたら苦労はありません。
それでも、僕が当時ずっと更新していたブログサイトは、
月に1万円~2万円くらい、僕に収入を発生させてくれていました。
 
 
ただ、大学時代は時々まぐれで売上が伸びる時こそあったものの、
最大でも月収は4万円。少ないときでは1万円くらいをいったりきたりしていました。
 
 
 
 

そして社会人へ

 
大学の友達は、ほぼ例外なくみんな就職していきました。
就職活動時には、まぁいろいろあったみたいですが、
みんなそれぞれまぁそれなりに良いところに合格し、
社会人への段取りをしっかりと踏みながら、
卒業式という日を迎えていたような気がします。
 
皆がそれぞれ名前が通った企業に就職が内定し、
晴れやかな顔で、卒業式を迎えていました。
 
ある友達はシステムエンジニアになり、
ある友達はNHKへ就職が決まったとお祝いしていました。
 
そんな中、僕は収入の目処が立たず、バイトを探していました。
ただ、この時は「ある種の無力感」にはもう慣れていましたから、
まぁ別に・・・。といった感じ。
 
「南ぃー、お前結局どうすんの?」
 
と卒業式の時に友達に言われ、
「ああ、フリーで行くよ。」
といって笑われたり・・・。
 
それでも、就職をしなかったのは、
何か不思議な意地があったんだろうなぁと、やっぱり思います。
 
僕は当時、髪色がミュージシャン志望で茶髪だったので、
正直いって茶髪のバイトを引き入れてくれる職場と言えば、
工事現場か、単発日雇いアルバイトくらいしかありません。
 
ちなみに、この時はたぶん、30社くらい面接を受けた記憶があります。
 
パソコンの組み立て工場、
ホームページの更新スタッフ、
ECサイトのサポートスタッフ、
電気屋のスタッフ、
テレアポスタッフ・・・。
 
「採用だったら1週間以内に電話します。」
 
と合言葉のようにいわれ、ことごとく電話がかかってこない日々。
町田にあるパソコンの組み立て工場スタッフを募集していた会社に至っては、
 
「へぇ~そんなにパソコンに詳しいんですかぁ~( ̄ー ̄)すごいですねぇ~」
 
となんていうか、上の空とも言えるような対応。
おい。求人出してるのそっちだろ。なんなんだよその態度は?
 
とはさすがに言えず、、、
そして、僕と同時に何人もの男の人(30代~40代くらい)が、
黒い囚人服のようなスーツを着て、その人に頭を下げる光景を目の当たりにし。
なんていうか、この人趣味悪そうだなと、
相手の面接官にたいして思ってしまったりもしました。
 
ちなみに、その会社、あとから気づいたんですが、
万年求人募集をしているみたいでした。
 
あんなに面接に行く人が居るのに、
何人も面接で人を突き落として、
それでも平気な顔して求人広告を出し続けるとは、
ちょっとどうなのだろうと思ってしまいます。
来た人をまともに定着させることもできず、
教育もできず、(だから不採用にしているのではと思います。)
でも良い人が来れば良いなと、
それ以外の人は適当にあしらっておけばいいやと、
そんな気持ちで求人をだしているのでしょうか。
だとしたら、少々迷惑な話です。
 
実は丁度その頃、某有名ASPがアルバイトの募集をしていたので、
「まさか」とは思いましたが電話をかけてそこにも面接には行きました。
でも、正直に言ってあんまり良いと思える対応はしてもらえませんでした。
1週間以内に返事を出すと言いながらも、2週間たって合否の返事を出してきたり・・・。
正直、「結構ルーズな会社なのかな?」と思ってしまいました。
 
(余談ですが、その後、そのASPで数字を上げ始めると、
今度は茶菓子を持って来ようといわんばかりの勢いで、
特別単価の打診がありましたが。笑)
 
ある派遣会社に面接に行った時は、
「あの、○○の求人情報を見てきたんですが・・・」
というと、
「ああそれね、それはもう定員なんだよ。」
と言われることもしばしば。
 
中にはホームページ作成のお仕事募集で行ったのに、
「htmlとcssはできるんですけど、そういった仕事は無いですか?」
と聞いたなら、
「そういう専門的なことは私はわかりませんねぇ・・・
工場の仕事なら紹介できますが。」

と言い出す面接官も。
 
オイ貴様、おめーがわからねーんじゃ、俺は何をお前に話したら良いんだよ?
あなたのところの求人が、ホームページ作成の仕事があると言うから私はここに来ているんですよ?
わからないなら会話にならないですよ。あなたはなんのために面接をしているんですか?
と今なら聞いてしまいそうなものですが・・・。
当時の僕は、何にも言い返すことができませんでした。
 
たぶん、今思うに、そういった仕事しか、無いというのが実情だったのではないかなとは思います。
 
 
それでもなんとかその後、
とあるITベンチャーが、僕をフルタイムで引き受けてくれることになり、
まぁ、なんとか仕事にありつける状態になりましたが・・・。
 
 
この時僕が思ったことは、世の中、こんなに求人情報自体は出ているのに、
こんなにもまともにできる仕事が少ないのか!
ということです。
またはあったとしても実態としてまともに生活できるような仕事はほとんど無いのかもしれないと感じました。
 
 

地獄のようなITベンチャーの日々

 
約30社ほどの面接を経て、僕はある、社員は社長1人というベンチャー企業に、
なぜかSEO担当として入社することになります。
 
当時、アフィリエイトをやっていて、
ある程度SEOや、htmlの知識は持っていた僕でしたが、
それを評価して頂いて、採用となったみたいですが、
この日々がまた地獄でした。
 
いや、当時青二才であり、いっぱいいっぱいだった僕を
迎え入れてくれた社長には今だに感謝していますが、
彼はとにかく僕に結果だけを求めてきました。
 
SEOとは、検索エンジン最適化のことで、
簡単に言ってしまえば検索エンジン(Yahoo等)で、
自分のサイトを上位表示させることを指します。
 
ホームページを運営された経験がおありの方なら、
ご理解いただけるかなと思いますが、
検索結果で上位表示させることって、
実はかなりの時間と忍耐を要する仕事です。
 
ライバルがひしめくキーワードの中で、
確実に上位表示を狙おうと思ったら、
少なくとも半年~1年以上前からコツコツと計画を立て、
実行に移さなければなりません。
 
社長は、それを知ってか知らずか、
執拗なまでに僕に結果を求めてきました。
 
 
僕としては期待されて与えられた仕事。
 
 
なんとか結果を出したいと思いますが、
検索エンジンのしくみ上、結果はすぐに出ないことになっているため、
毎日毎日、社長からの
「いつ上位表示できそう?」
の質問に耐え、時にはきつい質問に耐えながら、
日々の業務にあたっていました。
 
「来月までに上位表示できる?」
 
「それをやるともしかするとスパムになりますが良いですか?」
 
「スパムう?なんだそれ。儲かればいいんだよ!早くやれよ!」
「いいか?俺のモットーは初月回収だ。しょげつかいしゅう。わかるか?」

「結果は早く出さなければいけないんだよ」
 
「とは言っても社長・・・」
 
みたいな、そんなやりとりをずっとしていました。
 
もしかしたら、社長の言うことに従って、スパム的施工をすれば、
失敗するのは目に見えていますが、それでも社長は満足したかもしれません。
 
でも、僕にはそれはできませんでした。
みすみす、失敗するとわかっている仕事を行うことはできません。
 
悩みに悩んだ末、結局僕はその仕事を辞めました。
せっかく雇ってもらった社長には申し訳ないですが、
考え方があまりにも豪快で、僕には少しついていけませんでした。
 
 

改めて1人でアフィリエイトサイトを作り出す

 
その社長との仕事に、実りが全くなかったかと言えば、嘘になります。
僕はその間、必死になって検索エンジンのことについて調べ上げ、
なんとかスパムにならず、しかも効率的に上位表示できる方法を、
なんとなく自分の中で確立していたからです。
社長の期待には答えられませんでしたが、
なんとか最短でSEOをかける方法を、自分なりに習得していました。
 
紆余曲折の末、ようやく雇ってもらえた会社には背を向けることになりましたが、
辞めることで、同時に決心を固めることができました。
 
学校を卒業し、ベンチャー企業には入ったものの、会社に居る間は、
毎晩睡眠時間を惜しんでアフィリエイトサイトを作り続けていましたから、
少しずつアフィリエイトサイトからの収入も入り始めていました。
 
とは言え、この時、僕の精神状態は極限でした。
 
あとがない。仕事がない。
 
 
考えることが多いと、人は本当に目が回ることがあります。
 
不安をたくさんに抱えながら、
でもパソコンに向かって作業を始めようと思った時、
くらっと目が回ったことがあります。
 
でも、その時はビートルズのBGMをニコニコ動画でかけて、
ヘッドホンで音楽を聞きながら、がんばっていました。
 
 
 

広告主から連絡が入る

 
アフィリエイトサイトをがんばって作っていると、
中にはアクセスが出始めるサイトも、一握りですが出てきます。
 
そこに広告を貼って、訪問者に購入をしてもらうのがアフィリエイトです。
 
 
僕がいつものようにパソコンに座って作業を始めようと思ったら、
見知らぬメールが届いていることに気がつきました。
 
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南様、特別単価のご相談
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始めは、何のことだかよくわからないのでスルーしていました。
が、よく読むと、その言葉の意味がわかりました。
 
彼は、ASPから僕のサイトの存在を知り、
南さんのサイト、いつも見ています。
特別単価を出すのでぜひうちの案件を掲載してくれませんか?

と僕にオファーをかけてくれたのです。
 
まさに、起死回生の出来事でした。
 
アフィリエイトは、特別単価をもらえるようになると、
サイトの収益性が劇的に上がります。
僕はその時【単価800円】のところを、
単価1100円、全承認にて貰うことができました。
 
こうなると、サイトの収益性は何もしなくても、広告を張り替えるだけで1.5倍くらいに膨れ上がります。
 
当時、10万円稼ぐのがやっとか?といえるような状態だったのを、
一撃必殺で20万円弱にまで伸ばすことができました。
 
まさに、起死回生です。
 
誰も居ない事務所の中で、
天井に突き刺さるかといわんばかりの勢いでガッツポーズを決めました。
 
今までやってきた「点」だった作業が「線」に繋がっていく、
そういう感覚を、全身で感じました。
 
 
クライアントとのパイプも出来、
特別単価を受け取ることにも成功した僕は、
さらにやる気になってアフィリエイトサイトをつくりまくります。
人生、努力をすれば報われると、そう感じました。
 
 
この時の僕のスタイルは、「量産」でしたが、
サイトを作れば作るほど、売上が増えていく感覚が、楽しくて仕方ありませんでした。
 
 
 

外注を使い出す

 
特別単価をもらえるようになり、
ある程度、環境が整ってきたと思った僕は、
「これなら、僕以外の人がサイトを作ってもある程度大丈夫かもしれない」
と直感的に思いました。
 
そこで、@sohoなどで外注を探してみることにしました。
特別単価をもらっているので、ある程度報酬をお支払いすることもできます。
外注さんは、あっという間に決まりました。
 
最初は自分の仕事を外注に任せることに少し不安がありましたが
簡単に体系化することで「自分がやらなくても良い仕事」については、
人にお願いするということができるようになりました。
 
 

少しずつ、報酬金額が膨らんでいく

 
外注さんに任せたからといって、すぐに売上がたったわけではありませんが、
作業を分業化することによって、アフィリエイトの作業を楽にすることができます。
 
外注さんにもそれなりの賃金をしっかりと支払っていたので、
そこまで一気に拡大をすることができたわけではありませんが、
少しずつ楽に稼げるような流れを作っていくことが出来ていた気がします。
 
たとえば、記事のライティングを、外注さんにお願いすることができれば、
自分では記事を書く必要がなくなります。
サイトアフィリエイトの場合、記事のライティング作業が非常に多いので、
ここを外注さんにお任せすることで、
結果的に僕は別のことをしっかりと行う時間を取ることができました。
 
 

あれよあれよという間に月収は80万円に

 
同時、僕は売上が上がるサイトが増えていくのが楽しくて仕方ありませんでした。
自分がやっていることがすべて売り上げに繋がる。
そんな感覚です。
 
実際にサイトを増やせば増やす程、
収入は右肩上がりになっていました。
 
調子がいい月ではいろいろな事が重なって、
月収換算で80万円を超えた月もありました。
 
 

が、また収入が落ちだす

 
収入が右肩上がりになっていたのもつかの間、
調子に乗っている僕にいきなり試練が訪れます。
 
それが検索エンジンのアップデートです。
 
当時の僕は、
「スパム判定されるか、されないかのギリギリライン」
をなるべく効率化するようなスタンスでアフィリエイトサイトを作っていましたので、
このままだとやばいかもしれない・・・と少しずつ思いはじめました。
 
案の定、アップデートによって表示されなくなってしまったサイトも中には出てきました。
 
そこで僕はアフィリエイトのやり方をまた少し考えだすようになります。
 
 

検索エンジンだけに頼ったアフィリエイトはあぶないかもしれない!

 
多くのアフィリエイトサイトは、
そのアクセス量を、検索エンジンのご機嫌に依存させてしまう傾向を持っています。
僕の当時のアフィリエイトのスタイルも
「とにかく検索エンジンで上位表示させてそこにあった広告を貼る」と言うスタイルだったので、
検索エンジンからの集客だけに頼ったアフィリエイトは危ないかもしれないと思うようになりました。
 
でも、実際にこれは売上を上げることができました。
 
今でも、当時つくったサイトで売上が上がっているサイトは沢山あります。
 
が、今後はどうなるかわかりません。
検索エンジンが今後もっと賢くなれば、今までのようなやり方は一切通用しなくなるかもしれないし、
この先も案外対して変わらないかもしれません。
 
 
そこで、僕は、サイトアフィリエイトは、サイトアフィリエイトで平行して行うけど、
次はもっともっと、人とビジネスをすることを大切にしよう!
と思うようになりました。
 
そこで、アフィリエイトサイトを作るのと並行して始めたのがこのブログです。
 
 

ブログを始めてよかったこと

本来ならば、アフィリエイトサイトを作る時間を削ってまでして、
このようなブログを作るのはいささか非、効率的な仕事のやり方ではあると思います。
実際のところ、僕はこのブログでは今のところほとんど売上があがっていませんし、
自分のブログですから、もちろん外注化することもできません。
ブログの更新ばかりしていては、アフィリエイトサイトのメンテナンスがおろそかになります。
 
しかし、ブログをやっていてよかったなと思うこともあります。
それは、このブログを読んで下さった方と、コミュニケーションが取れるということです。
 
元々、検索エンジンだけに頼ったビジネスに不安を感じて始めたこのブログでしたが、
読者の方とコミュニケーションを取らせていただけるようになって、
「なるほど。人はこのようにWebサイトを見たりするのか」
と僕自身勉強になります。
中には、僕が想像もしていなかった感想を教えてくれる方も居らっしゃって・・・、
とてもとても勉強になります。
 
また、アフィリエイト初心者の方が、
どんな点で悩み、作業の手が止まってしまっているか、というのも、
なんとなく知ることができるようになりました。
 
 

ビジネスに答えなんてないということ

 
今僕は検索エンジンからの集客だけに頼ったアフィリエイトスタイルに不安を感じていますが、
検索エンジンが将来どうなるかは、検索エンジンに聞かないとわかりません。
 
このままかもしれないし、もっと賢くなって、
アフィリエイトサイトみたいな「お金儲けのことしか考えていないサイト」は駆逐されるかもしれません。
もっとも、お金儲け最優先みたいな考え方は、一般的には疎まれるのではないでしょうか。
 
だけど、だからこそあえて僕が言いたいのは、
ビジネスに1つの答えなんてないんだ。
ということです。
 
お金儲け優先に行うビジネスも、1つのビジネスだし、
人助けのために行う、だけど謝礼も頂戴するというのもビジネスでしょう。
検索エンジンに無理やりサイトを上位表示させるのもビジネスだし、
そうではなくて、しっかりと言葉で成約を取るのもビジネスです。
自分よりその分野に明るくない人を集めて、何かを行うのもビジネスでしょう。
ここに善悪はありません。
 
程度の差こそあれ、お金は生活するためには必要です。
だから、お金稼ぎ自体は、誰にも否定することはできないはずです。
 
「お金稼ぎは悪いこと」だと思って、ビジネスの手が止まってしまうこと、
これは問題だと思います。
 
いや、僕も気持ちはわかります。
僕もその昔、バンドマン時代は、
「自分なんかがお金を頂戴するなんておこがましい」
と思っていましたから・・・。
 
でも、その背景にあったのは、
きっと「完璧主義」だったように思います。
全てを完璧にできないと、お金を頂戴してはいけない!というそういう意識だったように思います。
 
でも、僕の人生を今軽く振り返って少し思うことは、
「完璧にできることなんてそうそう無い」ということです。
でも、生活のために、絶対にお金は必要です。
 
ならば、飛び出しちゃったほうが楽しい!僕はそう思うようになりました。
これは「別に完璧じゃなくても良い」と言っているわけではありません。
もし完璧にできるなら、完璧にできるでそれはそれで良いと思います。
でも、完璧の定義は時代によって変わります。
10年前の「完璧」は、今ではポンコツかもしれません。
今のポンコツが、10年後に「完璧」になる可能性だって、考えられない話ではないです。
 
そう思うようになってから、僕は「最善を尽くす」とか「改善」とかそっちの方が、
完璧よりも大切じゃないかなと思うようになりました。
ビジネスをして、お金を受け取る。この過程に完璧など無いのです。
 
 
よければ、僕と一緒にアフィリエイトで安定的に稼ぎませんか?
 
「まだあなたのことがよくわからない・・・いきなり稼ぎませんかって言われても・・・」
と思う方は、ぜひ僕が出す情報に注目してください。
少しずつ、僕のことを理解して頂けると思います。
タックンがアフィリエイトで稼げるようになるまでの過程をまとめたレポート
 
 
 
このページには僕の全てを書きました。
ここまで読んでいただいたあなたとなら、
僕は親友になれる自信があります。
 
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
感想などあれば、お問い合わせよりメールをください。